知りたい(桜島について)
桜島のプロフィール
2012/07/03
錦江湾に浮かぶ桜島は、鹿児島のシンボルといわれています。高さ1,117ⅿ(北岳・御岳)、面積約80km²、周囲約52km。北岳・南岳の2つの主峰から成る複合火山です。霧島錦江湾国立公園に指定されています。
桜島は約26,000年前に誕生し、17回の大噴火を繰り返してきました。以前はその名の通り「島」でしたが、1914年の大正噴火で流れた溶岩によって海峡が埋め立てられ、大隅半島の一部となりました。
現在も毎日のように小規模な噴火を繰り返しています。
2011年の爆発的噴火は996回を数え、観測史上最多を記録しました。
火山とともに人々が暮らす―
桜島には約4,600人が暮らしています(2015年1月現在)。
古くは縄文時代から、人々はこの地での生活を始めていたそうです。
大噴火や土石流など、火山災害を受けながらもこの地に住むのは、火山のもたらす恵みがあるから。
桜島大根、桜島小みかんといったおいしい農作物、日々の疲れを癒す豊かな温泉、山や集落の美しい景観は、火山の恵みといっていいでしょう。
現在の噴火も日常生活の一部。
桜島の人々は、火山とともに暮らしています。
世界中から人が訪れる桜島―
噴煙を上げ続ける桜島の姿は、多くの人々を魅了します。溶岩原や展望スポットを見学すれば、非日常の景色に驚くことでしょう。
海を挟んでわずか4kmの場所には、60万の人口を抱える鹿児島市街地。市街地よりフェリーでわずか15分というアクセスの良さも魅力です。
生きた火山を一目見ようと、日本はもちろん、海外からも観光客が訪れます。
桜島は、生きている地球の鼓動を感じられる、世界でも稀な場所なのです。
桜島の暮らしに触れられる「さくらじま便り」発行開始!(桜島地域おこし協力隊編集)
みんなの桜島
2012/03/19
2010年896回、2011年には996回もの爆発的噴火を記録した鹿児島県、桜島。
世界有数の活火山の麓では、5000人もの人が暮らす―。
2011年5月に発売された『みんなの桜島』(NPO法人桜島ミュージアム編著,南方新社)。
桜島噴火の歴史や火山のメカニズム、観光情報はもちろん、地元のお店、まち歩き情報、文学や伝統芸能など、桜島のあらゆる魅力を一冊にまとめた、はじめての本です。
桜島ビジターセンターをはじめとした島内のお土産物屋や飲食店、鹿児島県内の各書店、県外一部書店やamazon等にて好評発売中です。
これを持って桜島へ来れば、桜島をもっと楽しむことができるはず。
桜島への想いがぎゅーっと詰まった『みんなの桜島』。手にとっていただければ幸いです。
少しだけ内容をご紹介。
どこか懐かしい絵のカバー。隠れたストーリーが。
まだまだ他にもたくさんの情報が詰まっています。
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ディープな桜島の旅へ出かけましょう。
桜島の誕生
2012/07/03
黒色の部分にシラス(入戸火砕流)が分布する
赤部分に人。その厚さに驚く
約29,000年前、現在の錦江湾(きんこうわん)北部で超巨大噴火が起こり、「姶良(あいら)カルデラ」と「シラス台地」が形成されました。
この噴火により、地下にあった大量のマグマが地表に噴出されました。すると、空になった地下へ地表がなだれ落ち、大きな陥没地形(=カルデラ)が生まれました。これが「姶良カルデラ」です。
姶良カルデラの大きさは、南北約23km、東西約24kmにもおよび、阿蘇カルデラにも匹敵します。そこへ海水が流れこみ、現在の錦江湾奥が形作られました。
カルデラはポルトガル語で「大鍋」を意味します。切り立った崖が海沿いに続く錦江湾奥は、まさに水の入った大鍋のような地形をしています。
一方、地表に噴出したマグマは、火砕流(入戸火砕流・いとかさいりゅう)となり半径70km以上の範囲を埋めつくし、火砕流台地を形成しました。この火砕流台地が「シラス台地」です。
その厚さは100mを超えるところもあり、火砕流の規模の大きさが想像できます。
また、上空高くあがった火山灰(姶良Tn火山灰)は、日本各地で確認されています。
この超巨大噴火から約3000年後、今から約26,000年前に、カルデラの南端に桜島が誕生しました。
桜島は、姶良カルデラの子どものような火山として、噴火活動をはじめました。
姶良カルデラと桜島
噴火の歴史
2012/07/01
桜島は、約26,000年前の誕生以来17回の大噴火を繰り返してきました。
その噴火活動は、大きく2つの時期に分かれています。
最初は北岳(御岳)の活動です。誕生以来たびたび噴火し、約5,000年前に活動を休止しました。
なかでも、約12,800年前の噴火は規模が大きく、鹿児島市街地で約1ⅿ、鹿児島県のほぼ全域で約10cmの軽石が降り積もりました。
約4,500年前からは南岳の活動がはじまります。
あとから誕生した南岳は、北岳に覆いかぶさるように成長し、現在まで活発な活動を続けています。
歴史時代に入ってからは、天平宝字(764年)、文明(1471年)、安永(1779年)、大正(1914年)と4回の大噴火を起こし、そのたびに島は形を変えてきました。
大正噴火では大量の溶岩が流れ、それまで島だった桜島と大隅半島は陸続きとなりました。
昭和の噴火(1946年)は、溶岩を流した最後の噴火です(爆発的な噴火を伴わなかったため、17回には含まれません)。
その後、1955年からは火山灰の噴出を繰り返す噴火活動がはじまり、今日まで活動が続いています。
現在は、南岳の山頂火口もしくは南岳東側斜面の8合目付近にある昭和火口のどちらかが爆発を繰り返しています。