カンメ
消えゆく荷物運搬手段
―いつからカンメはいたのだろうか。
小さい頃、気づいた頃にはもう頭に載せていたから、カンメ歴は70年以上だと思う。
親や祖母はもちろん、ここで生まれ育った女性は皆カンメだ。
農作物や畑道具、港に運ばれてくる米、浜辺の井戸で汲んだ水...。
昔は何でもカンメが運んだ。
手に持てない重さのものでも、頭に載せればなんてことはない。
若い頃は、一度に60kgくらいは運べた。
頭が痛くならぬよう、カンブシ(カンメブシ)を使った。
藁と竹皮で作られた輪の形をした道具だ。
まずそれを頭上に置き、その上に荷物を載せた。
畑では、大きな布で即席のカンブシを作って代用した。
この地域の道は狭く、海から畑までずっと急坂だ。
車はまだなかったし、あっても通れなかっただろう。
だから皆カンメだったのだと思う。
やがて道が広がり、車が普及した。
一度にたくさんの荷物を運べる車は便利だ。
そして、カンメをする人は減っていった。
最近でも、時々する人はいるようだが、みな高齢になったので大きな荷物は運べない。
私たちがカンメに慣れ親しんだ最後の世代だろう―。
東桜島湯之で高齢女性から聞き取った話だ。
旧東桜島村のほとんどは急坂の多い溶岩地形で、畑は山の斜面に段々状に広がっていた。
かつての道は狭く、路面も今のようにきれいに舗装されてもいなかった。
そんな環境ゆえ、荷物を運ぶのは、女性による頭上運搬「カンメ」が便りだった。
この場所で女性が重量物を運ぶには、背負うよりも効率が良かったのだろう。
この文化は、すでに過去のものになりつつある。
「当たり前」の習慣や景色も、いつまでも見られるとは限らない。
失われかけているものはもちろん、いま目の前にある「当たり前」を記録し残してゆくことが、この時代を生きるボク達の役割なのかもしれない。
NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2013年12月24日「桜島ルーキー日記(カンメ)」
※筆者本人により一部加筆修正