桜洲小学校
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100年経た噴火の生き証人
フェリーターミナルから徒歩10分のところに、桜島ユースホステル(※現在は閉館しました)がある。
地下より湧き出す温泉と、リーズナブルな料金が評判の宿泊施設だ。
敷地内のグラウンドの隅に、記念碑がある。
碑には「桜洲尋常高等小学校埋没跡」の文字。
あたりを見渡しても、宿舎と静かに煙を上げる桜島の姿があるだけだ。
昔、この辺りは西桜島村の中心地だった。
村役場や郵便局、そして1882年創立の桜洲小学校もこの地に置かれていた。
しかし、1914年に大正噴火が発生する。
山腹から流れ出た溶岩は麓の集落を襲い、この地にあったすべてのものを飲み込んでしまった。
記念碑はそれを語りかけていたのである。
翌1915年、桜洲小学校は溶岩からわずかに逃れた小池の現在地に再建された。
すぐ裏には、大正溶岩が迫る。
校舎は、自分を飲み込んだ分厚い溶岩と対峙しているかのようだ。
学校の東門近くの「櫻島爆発記念碑」には、大正噴火の被害や復興の様子が描かれている。
改めて碑文を読みに行けば、刻まれた文字一つ一つに重みを感じ、当時の苦労が目に浮かんできた。
学校から休み時間を迎えた子どもたちの声が聞こえてきた。
先人の重ねた歴史の上に、人々の暮らしはちゃんと続いていることを実感する。
2014年1月12日、桜島大正噴火から100年の節目を迎えた。
20世紀における国内最大の噴火は、桜島の姿を大きく変えた。
島は島でなくなり、溶岩はいくつもの集落を飲み込んだ。
復興には大きな苦労を伴い、半数以上の人々は移住を余儀なくされた。
今後起こりうる災害を知るために、100周年はちょうどよいきっかけかもしれない。
その記憶は、島の至る所に刻まれている。
同校もまた、大正噴火に翻弄された生き証人なのだ。
NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2014年1月14日「桜島ルーキー日記(桜洲小学校)」
※筆者本人により一部加筆修正